2024年04月16日
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高井戸と烏山の関係に関するメモ・高井氏と高橋氏の距離感

Written By: 川俣 晶連絡先

 分かったことのみメモしておく。

発端としての仮説 §

 千歳烏山方面に多い高橋氏と、高井戸の語源となった高井氏は高の文字を共有するので何か関係があったのではないかと推定した。

簡単な調査で判明したこと §

 高橋氏#系図によると、高橋氏には非常に多くの分裂した系統が存在するがその中に【牟礼系高橋氏】【烏山系高橋氏】が存在する。

 高井戸との関連性は見えてこないが、牟礼は小田原衆所領役帳に【無連高井堂】(無連=牟礼)と書かれたこともあり、高井戸関連だ。

 やはり、何かの関連性があったようにも思える。

 それに加えてもう1つ。

 すっかり見落としていたが、高井戸の地名の起原を探るには、【「武蔵国 吉良頼貞公 末男(次男)、天文年中の頃より当所に住 高井隼人 源 頼澄 入道して明尊と云。当寺の祖也。】という記述が紹介されていて、吉良頼貞という名前が出てくる。つまり、吉良家とのつながりも明確に見えている。吉良頼貞とは吉良頼康の初期の名前で世田谷城などに住んでいた武将である。

 ここで、【牟礼系高橋氏】は後北条の血が入っているらしいこと、吉良氏も北条系であることを考えれば、やはり関連性は想定できる。

まとめ §

 どのような関係性かは分からないが、高井戸の開祖高井氏、烏山の高橋氏、牟礼の高橋氏、世田谷城の吉良氏には相互に強い関連性を見出せる。一方で、今のところ高井戸の内藤氏にはそれほど強い関連性は見出せていない。高井、高橋、吉良は鎌倉~室町時代に来た古い勢力、内藤はその後で戦国時代以後に大きな力を握った新興勢力という可能性もあるが、全く調査は足りていない。

神田川王国仮説 §

 現在の神田川及び支流の周辺全体を統括する【神田川王国】が存在したという仮説を思い付いた。これが小田原衆所領役帳の【無連高井堂】である。これれは【牟礼と高井戸】という意味ではなく、もっと広範囲に神田川流域を包含した地域性があったのではないかと考えてみた。しかし、太田道灌や内藤氏の活動などにより、王国は各所で分断され、現在残っている牟礼と高井戸は残骸である。特に、太田道灌の部下が江戸城に関連して作らせた下高井戸八幡神社は、占領者が地域に睨みを利かせるための施設だったのではないか。神田川を制圧した上杉系の太田道灌と、北沢川系の北条系の世田谷城の吉良氏にも緊張関係があったと考えられる。

 とすると、神田川流域が上杉側の手に落ちる何かの事件があったはずである。その際、旧支配者の痕跡は消されていると思われるので、開祖高井氏の存在感の低さなどの傍証となるかもしれない。

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